歯科裁判事例【10】

Case10.
インプラント治療に医療過誤があった場合の返金額算定

【事件番号】

東京地判平成28年9月8日
平成27年(ワ)第8689号 
損害賠償請求事件
(判例時報2330号掲載)

【事案の概要】

本件は、右上2番,左下5,6,7番,右下6,7,8番の計7歯にインプラント治療を行う計画に基づき、左下5,6,7番,右下6,7,8番の計6歯にインプラント治療を受けた患者が、右下8番のフィクスチャーを右下顎骨に過度に深く埋入されたことにより下歯槽神経またはオトガイ神経を損傷し、後遺障害を負ったとして、クリニックに対して、債務不履行に基づく損害賠償の支払い及び契約解除による既払い診療代金の返還を求めた事案です。

【争点】

  1.  手技上のミスと後遺障害との間の因果関係の有無
  2.  損害額

【判旨】

一部認容 
346万2900円(請求額 2219万6523円)

⑴ 手技上のミスと後遺障害との間の因果関係の有無について

本件では、担当医が右下8番のフィクスチャーを,過失により原告の右下顎骨に過度に深く埋入したことについては、争いがありませんでした。

クリニック側は、特段の立証を行っていないように見えるものの、一応は当該事故と後遺障害との間の因果関係について争っています。

これに対して、本判決は、フィクスチャーを右下顎骨に過度に深く埋入したという事故が起こっていること、患者が大学病院でオトガイ神経麻痺であると診断され,治療を受けていること、さらに、同病院で撮影されたパントモ写真では、下顎管に達する透過像が認められており,また、同じく同病院で行われたCT検査でも,インプラント埋入窩で神経の断絶が認められることから、患者に生じた後遺障害は,担当医が埋入したフィクスチャーが,患者の右側下顎管に達し,下歯槽神経またはオトガイ神経を傷害したために生じたものと認められると判示しました。

⑵ 損害額について

本判決は、準委任契約の定めに従って、クリニックが返還すべき治療費を算定しています。すなわち、本判決は、インプラント治療は、フィクスチャーの埋入,アバットメントの固定,上部構造の装着という過程から成り,これらは治療の工程として分離可能であり,フィクスチャーの埋入までで治療が中断した場合であっても,これを利用して上部構造の装着を行うことができるとした上で、患者は、医療過誤によって抜去した右下8番は別として、すでにフィクスチャーの埋入まで完了した他の5本については,インプラント治療に占めるフィクスチャーの埋入部分の割合に応じて報酬を支払わなければならず(民法648条3項)、その割合は7分の4と認めることができると判示しました。

この点、患者側は、一般にインプラントを含む補綴に関する歯科診療契約は請負契約の性質を有するものと解すべきであること、本件では、クリニックが10年間の保証期間を設け,同期間内に生じた問題について責任を持って対応する旨を約していることから,本件の診療契約は請負契約の性質を有するものであったとした上で、本件の診療契約が請負契約の性質を有する以上、7本の歯全てについて治療が未了であるばかりでなく,右下8番については医療過誤であり,左下7番については不完全履行であって、仕事が完成されていないので、患者は診療契約を債務不履行に基づき解除し、既払い診療代金の返還を求めることができるはずであると主張していました。

これに対し、本判決は、インプラント治療もフィクスチャーを生体組織に固着させるなどの外科的侵襲を加えるものであって,結果に再現性・確実性がないことは通常の医療と同様であるから,既にフィクスチャーの埋入を終えている部分については解除の効力は及ばず、このことは,保証期間を設けて対応を約している場合でも変わりはないとして、患者の主張を退けました。

本件のポイント

⑴ インプラント治療に関する診療契約の法的性質について

インプラント治療は医療側も患者側も一定の結果が実現することを前提に診療契約を締結しているような請負的要素の強い類型であるといわれています。しかも、本件では、10年保証がついていました。そこで、本件の患者側は、インプラント治療に関する診療契約の法的性質は請負であると主張しました。

これに対して、裁判所はこの主張を退け、インプラント治療に関する診療契約の法的性質はあくまで準委任であり、このことは保証期間がついていても変わらないとしました。

⑵ 履行割合に基づく返金について

インプラント治療に関する診療契約の法的性質が準委任であることから、治療が途中で中断した場合は、履行割合に基づいて返金がなされることになります(民法648条3項)。

そして、本判決が判示するように、インプラント治療は工程が分離可能であり、治療が途中で中断したとしても、後でそれまでの治療結果を利用して治療を再開できます。そこで、治療が途中で中断した場合、医療側はインプラント治療の工程のうち、履行が終わった部分につき治療費を受け取れることになります。そして、本判決は、インプラント治療に占めるフィクスチャーの埋入部分の割合は7分の4であるとしています。

⑶ 治療が失敗した場合について

インプラント治療に関する診療契約の法的性質は準委任です。そのため、手術を行いさえすれば、診療契約に基づく義務を履行したことになるようにも思えます。

しかし、本判決は、右下8番については、神経損傷を引き起こした事故により即日抜去されたことから、フィクスチャーの埋入が終わったとは評価せず、クリニックがこの部分の治療費を受け取ることを認めませんでした。裁判所は、フィクスチャー埋入の治療費は、埋入まで完了させることの対価であると考えたようです。

このように、インプラント治療では、治療に失敗して装置を撤去した場合は、その部分の対価はもらえない可能性があります。これは、インプラント治療に請負的要素があることの現れであるように思われます。

⑷ 医療過誤があった場合について

一般に、診療契約の法的性質は準委任であるため、治療費は治療を行うこと自体の対価であることになります。したがって、治療が終わっていれば、たとえ医療過誤が生じても、患者は治療費を支払わなければなりません(神戸地判平成20年6月5日など)。

本件でも、左下7番については、いったんは埋入が終わっていました。そのため、フィクスチャーが舌側に埋入されて傾いており,対合歯との距離も十分でなく,上部構造を装着すると咬合に不具合を生ずるという状態を生じさせた点で手技上の過失が認められたにもかかわらず、患者はこの部分の治療費を支払わなければならないとされました。

もっとも、裁判所は、治療の必要性や緊急性に乏しく、また、医療側も患者側も一定の結果が実現することを前提に診療契約を締結しているような請負的要素の強い類型の治療がなされた場合には、医療過誤が認められるときは、もとの治療費を損害に含めることがあります。そして、インプラントはこの類型に当てはまります。本件でも、左下7番については手技上の過失が認められたため、左下7番のフィクスチャー埋入の治療費相当額が損害として認められ、それが治療費から引かれました。これにより、結局クリニックは左下7番のフィクスチャー埋入に関する治療費を請求できないのと同じ結果になっています。

このように、インプラント治療においては、医療過誤が立証されたときは、治療費を返還しなければならない可能性が高いと考えておいた方がよさそうです。

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