歯科裁判事例【4】

Case4.
知覚・味覚障害に関するリスク説明

【事件番号】

東京地判平成29年3月23日
平成26年(ワ)第32850号 損害賠償請求事件
(判例タイムズ1452号掲載)

【事案の概要】

本件は、左側下顎智歯の抜歯後、舌神経の損傷による知覚・味覚障害が生じたことから、患者がクリニックに対して、手技上の過失と説明義務違反により損害を受けたとして、後遺障害慰謝料等の支払いを求めた事案です。

【争点】

  1.  抜歯を選択した判断ミスの有無
  2.  神経の位置を確認する義務違反の有無
  3.  手技上の過失の有無
  4.  神経損傷リスク等に関する説明義務違反の有無

【判旨】

一部認容 
529万4785円(請求額 1850万3284円)

本判決は、抜歯を選択した判断ミス(争点1.)、神経の位置を確認する義務違反(争点2.)、手技上の過失(争点3.)については否定しましたが、投薬によって智歯を保存するという選択肢があったことと知覚・味覚障害の後遺症が残るリスクがあることについては説明義務違反があると判示しました(争点4.)。そして,患者がそのような説明を受けていれば,抜歯を受けることはなく,神経損傷による知覚及び味覚障害の後遺障害を負うことはなかったとして、後遺障害慰謝料などを認めました。

本判決は、担当医に舌神経損傷について説明義務を負う根拠としては、下顎智歯の抜歯によって神経損傷が生じて知覚・味覚障害が起こることは歯科医師国家試験にも出題されるレベルの医学的知見であって歯科医師なら誰でも知っており、また、複数の医学文献に記載されていること、及び患者の生活への影響が重大であることの2点を挙げています。

この点、医療側は、下顎智歯抜歯に伴う舌神経麻痺の発生率はきわめて低く、また、大学病院やその他の病院の下顎智歯抜歯の同意書にも神経損傷による味覚障害に関する記載はないため、舌神経損傷や味覚障害について説明する義務はなかったと反論しました。

これに対して、本判決は、発生率が低くとも、患者が当該手術を受けるか否かを決定する上で重要となる代表的かつ重篤な合併症については説明すべきであるところ,舌神経の損傷による味覚障害の後遺症は,下顎智歯抜歯に伴う代表的かつ重篤な合併症ということができ、また、一定数の医療機関において当該合併症について説明されていないという医療慣行があったことが推測されるものの、医療慣行に従った説明をしたからといって、必ずしも医療水準に従った説明を尽くしたことにはならないとして、クリニック側の反論を退けました。

本件のポイント

⑴ 説明すべき合併症について

担当医に治療前にあらゆる合併症のリスクを説明するよう求めるのは非現実的です。そのため、裁判所は、患者が治療を受けるかどうか熟慮の上判断するために必要かつ十分かという観点から、①一般的によく知られている代表的な合併症であり、かつ、②出現頻度が高いか、または症状が重篤なものについてのみ説明すれば足りる、と考えているようです。

ここで注意すべきなのは、本判決も述べているように、症状が重篤なものについては、発生率が低くても説明義務を免れないという点です。たしかに、裁判例の中には、症状が重篤であることに加えて、一定の出現頻度があることを必要とするものもあります(東京地判平成27年7月30日など)。しかし、発生率が低くとも説明義務を免れないとする裁判例がある以上、医療側に都合の良い方向に解釈することは妥当ではありません。代表的かつ症状が重篤なものについては、たとえ発生率が著しく低いとしても、念のために同意書に記載するなどして説明しておくことが無難であるといえます。

⑵ 医療慣行と医療水準について

本判決が引用しているように、最高裁は、「医療水準は、医師の注意義務の基準となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない。」(最三判平成8年1月23日)と述べて、臨床現場の医療慣行に従っていたからといって必ずしも免責されるわけではないとの立場をとっています。

たしかに担当医と同じ立場の平均的な歯科医師がどのような医療行為を行っているのか、という点は医療水準を判断する上で大きな判断要素となります。しかしながら、医療水準とはあくまで裁判所が平均的な歯科医師であれば有しているべきであると判断した知識や技術の水準であって、平均的な歯科医師が現に行っている医療行為がそのまま追認されて医療水準であるとされるわけではありません。このように、臨床現場の医療慣行が必ずしも医療水準とイコールではない以上、臨床現場の医療慣行に盲従するという姿勢は危険であるといえます。したがって、ガイドラインや治療指針と周りの医療慣行が食い違っている場合は、ガイドラインや治療指針の方に従うべきです。

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