歯科裁判事例【3】

Case3.
通常より長いインプラントによる下歯槽神経損傷

【事件番号】

東京地判平成20年12月24日
平成19年(ワ)第7942号 
損害賠償請求事件

【事案の概要】

本件は、左下5番の下に通常よりも長い長さ18mmのインプラント体を十分な角度をつけずに埋入したところ、治療後に知覚麻痺が生じたため、患者が、担当医の説明義務違反、手術前にCTを撮影せず,下顎管ないしオトガイ孔までの距離を正確に把握せずに手術を行った過失又は手技上の過失によって左下5番直下のオトガイ孔付近の下歯槽神経が損傷して知覚麻痺が残ったとして、診療契約の債務不履行により損害賠償を求めた事案です。

【争点】

  1.  手術前にCTを撮影せず,下顎管ないしオトガイ孔までの距離を正確に把握せずに手術を行った注意義務違反の有無
  2.  技術的なミスにより下歯槽神経を損傷した注意義務違反の有無(十分な角度をつけずにインプラント体を埋入したことがミスであることはクリニック側が認めている)
  3.  リスク等に関する説明義務違反の有無

【判旨】

一部認容 
376万2860円(請求額 1941万円)

⑴ 争点1.について

本判決は、「下顎管やオトガイ孔からインプラント体先端部までの適切な距離を取るため,CT撮影による三次元的診断を行うことが望ましいとはいえるものの,他方,メジャーテープを用いたパノラマレントゲン写真により距離を確認するのも有用であるとされていることが認められる」とし、「パノラマレントゲン写真上にメジャーテープを当てて,下顎管ないしオトガイ孔までの距離を測定し,骨の幅について,触診や口腔内所見(肉眼)により確認した」担当医には、下顎管ないしオトガイ孔までの距離を正確に把握せずに手術を行った注意義務違反はないと判示しました。

⑵ 争点3.について

本判決は、担当医には,「手術前に,手術を受けるか否かを選択させる前提として,原告の口腔内の状態,本件手術の内容及び必要性,本件手術による神経損傷の危険性及び予後等について,原告がインプラント手術に関する十分な情報に基づいて本件手術を受けるか否かを決定できるよう,相当程度詳細に説明すべき義務があった」にもかかわらず、担当医は、外科的手術に伴う出血,痛み及び腫れが生じる可能性があることについて説明しただけで,神経損傷や神経麻痺が生じる可能性があることなどについては説明しなかったとして、説明義務違反を認めました。

本件のポイント

⑴ CT撮影の必要性

過失の有無を判断するにあたっては、治療行為当時の医療水準が問題となります。本件では治療が行われた平成14年においては、CT撮影による三次元的診断を行うことは医療水準ではなかったと判断されたようです。そのため、CT撮影を行わなかったことによって、直ちに下顎管ないしオトガイ孔までの距離を正確に把握せずに手術を行った注意義務違反が認められることにはなりませんでした。

では、同様の事件が現在起こった場合はどうでしょうか。

たしかに、2020年の口腔インプラント治療指針でも、CT撮影は不可欠とまではされていないようです。

しかし、本判決は、平成14年に行われた治療について、「CT撮影による三次元的診断を行うことが望ましい」と述べています。それから20年近くが経過している現在では、よりCTが普及していますから、さらにCT撮影による三次元的診断を行うことが望ましい状態になっていると思われます。また、医療訴訟に従事しておられる裁判官が集まって書かれた書籍(高橋譲編著「医療訴訟の実務〔第2版〕」商事法務、2019年、p.493)には、裁判官のコメントとして、「しかし、CT撮影の有用性を説く文献や歯科医師の意見に事件を通じて接することも多く、インプラントを行うに当たって事前にCT撮影を行うことが医療水準に当たるかどうかについては、今後とも慎重に見極めていく必要があるであろう。」と書かれています。

そうすると、現在では、少なくとも下顎のオトガイ孔直上にインプラント体を埋入するようなリスクの高い治療については、CT撮影を行わなかったこと自体が過失を基礎付ける事実として評価されてしまう可能性は否定できません。したがって、インプラント治療を行われる歯科医師の先生は、CTを導入しておかれた方が無難であるといえそうです。

⑵ 求められる説明の程度

患者は、治療を受けるかどうか,また、どのような治療を受けるかに関する自己決定権を持っています。そして、歯科医師は,患者が自己決定を行うのに必要な情報を提供しなければならないとされています。そのため、歯科医師には患者に対する説明義務が課されています。 このことから、歯科医師側でこの程度説明すれば十分であろうという内容の説明を行っても、それだけでは説明義務を果たしたことにはならないといえます。あくまで、客観的に見て患者が自己決定を行える程度の情報量を提供しなければなりません。したがって、本件判決が判示するように、歯科医師には、「相当程度詳細」な説明をすることが求められます。 さらに、患者は医学的知見を有しないため、詳細な説明を行っただけでは内容が伝わらない可能性があります。そのような場合には、説明義務を果たしたことにはなりません。東京高判令和元年11月13日が判示しているように、歯科医師は、「専門家でない患者が十分に理解できる内容の明解な治療内容等に関する説明をする義務を負う」ことになります。

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