歯科裁判事例【1】
Case1.
治療開始前に死亡し契約書が無効と判断された例
【事件番号】
- 津地四日市支判令和2年8月31日
- 令和元年(ワ)第283号 不当利得返還請求事件
- (判例時報2477号掲載)
【事案の概要】
本件は、インプラントの治療前に患者が亡くなったために、相続人らがクリニックに対して支払い済みの治療費の返還を求めたところ、クリニックが承諾書に患者都合による治療中断の場合には治療費を返還しない旨の条項(以下「本件不返還条項」といいます。)が設けられていることを理由に返還を拒絶した、という事案です。
【争点】
承諾書記載の治療中断の場合には治療費を返還しない旨の条項が消費者契約法10条に反し無効となるか
【判旨】
一部認容
原告3人で合計165万3750円
(請求額 原告3人で合計220万5000円)
消費者契約法10条は、消費者の利益を一方的に害する条項を無効であるとしています。そして、消費者契約法10条の要件は、「法令中の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比して消費者の権利を制限し又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項」であること(消費者契約法10条前段)と、「民法1条2項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するもの」(消費者契約法10条後段)の2つです。
まず、本判決は、1つ目の要件については、民法の規定に基づけば医療側は履行の割合に応じて報酬を請求できるに過ぎないので、治療が途中で終了しても治療費を全額返還しないとの条項は民法の規定に比して消費者の権利を制限し又は消費者の義務を加重するものであると判断しました。
次に、本判決は、2つ目の要件については、「民法1条2項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するもの」に該当するかどうかは、消費者契約法の趣旨、目的に照らし、当該条項の性質、契約が成立するに至った経緯、消費者と事業者との間に存する情報の質及び量並びに交渉力の格差その他諸般の事情を総合考慮して判断される、とする最高裁判例(最二判平成23年7月15日)を引用した上で、諸事情を総合考慮して、要件該当性が認められると判断しました。
すなわち、本判決は、たしかにクリニック代表者が施術内容や金額について丁寧に説明し、承諾書の内容についても、本人及び家族に説明し、十分に納得してもらった上で署名指印してもらった旨供述しているものの、次の事情を考慮すると、本件不返還条項は民法1条2項に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものであるといえる、と判断しました。
- 治療が行われていなくても治療費を返還しないという条項は、治療費の対価性を損なうこと
- 身体的侵襲を伴う契約は患者の意思に基づくものでなければならないが、治療費を返還しないという条項があると、患者は治療の中断や転院をしづらくなってしまうこと
- 本件不返還条項は、承諾書に定型的に記載されたものであって、個別に交渉されて合意されたものではなく、また、インプラント治療が検討されたその日に契約締結に至っていること
- 患者が80歳を超える高齢であったこと
このように、本判決は、2つの要件が満たされるとして、承諾書記載の不返還条項は消費者契約法10条により無効であると判示しました。
本件のポイント
たしかに、診療契約の内容をめぐって患者さんと争いになる場合に備えて、しっかりとした同意書面を作成しておくことは重要です。もっとも、同意書面にクリニックに有利な条項を書いておいたとしても、紛争になった場合に必ずしも勝てるとは限りません。あまりに患者さんに不利な内容である場合は、消費者契約法10条により無効とされてしまうからです。
本判決は、施術内容や金額について丁寧に説明し、承諾書の内容についても、本人及び家族に説明し、十分に納得してもらった上で署名指印してもらった、とのクリニック代表者の供述に言及した上で、それでもなお条項は無効であると結論づけています。 このように、患者さんの理解と同意があったとしても、内容自体がひどい場合には無効になってしまう可能性があるので注意が必要です。
まずは、社会通念に照らして非難を受けないような契約内容にすることが重要であるといえます。 また、承諾書の内容が妥当だったとしても、本件のような高齢の患者さんに高額の自費治療を行う場合は、往々にして契約内容をめぐって紛争が生じがちです。 高齢の患者さんとの間の紛争を予防するためには、やり取りをいつも以上に詳細に記録する、直ちに治療を行うことはせず熟考期間を設ける、患者さんのご親族にも来院していただいて書面にサインしていただく、といった防御策を講じるべきであるように思われます。