歯科裁判事例【2】
Case2.
垂直骨量が薄い患者へのインプラント
【事件番号】
- 東京地判平成27年7月30日
- 平成25年(ワ)第7020号
損害賠償請求事件 - (判例タイムズ1424号掲載)
【事案の概要】
本件は、患者の上顎歯槽骨の垂直骨量が3.8mm~4.0mmと薄く、そのままではインプラント体を埋入できなかったため、ソケットリフトにより骨造成を行ってインプラント体を埋入したところ、術後に上顎洞炎が生じたため、患者がクリニックに対して、骨造成の術式として既存骨量に制限のないサイナスリフトを選択せずに既存骨量が一定量以下の場合は適応とされていないソケットリフトを選択した点やインプラント体を誤って上顎洞に穿孔させた点に注意義務違反が認められるとして損害賠償の支払いを求めた事案です。
【争点】
- 上顎洞底挙上術としてソケットリフトを選択した適応違反の有無
- サイナスリフトという他の選択肢の可能性や、上顎洞粘膜の穿孔及び上顎洞炎発症のリスクなどに関する説明義務違反の有無
など
【判旨】
請求棄却(請求額 325万1547円)
⑴ 争点1. について
本判決は、「少なくとも本件インプラント手術が行われた平成22年当時において,原告主張のように既存歯槽骨の垂直骨量が5mm以下の場合には一律ソケットリフトを行ってはいけないという基準が,一般的な医療水準になっていたということはできないというべきである」と述べて、ソケットリフトを選択したことは注意義務違反にあたらないと判示しました。
⑵ 争点2. について
ア. サイナスリフトについて説明しなかったとの主張について
本判決は、ソケットリフトの適応が認められる状況下では、ソケットリフトに比して患者に対する侵襲性が高く,ソケットリフトに比してどの程度上顎洞粘膜の穿孔のリスクが低いのか不明であって,一定程度高い割合で上顎洞粘膜の穿孔のリスクが存するサイナスリフトについては,患者に対して説明する義務があったとはいえない、と判示しました。
イ. 上顎洞粘膜の穿孔及び上顎洞炎発症のリスクを説明しなかったとの主張について
本判決は、患者への治療を実施するに当たって,医師が患者に説明するべき合併症とは,原則として,患者が当該治療を受けるか否かについて熟慮し,決断する上で重要な出現頻度の高い合併症や一定の出現頻度があり,かつ,症状が重篤な合併症として一般的に認識されていたものが対象となると解されるべきであるとした上で、各種文献からすれば、治療が行われた当時,術中の上顎洞粘膜の穿孔やそれに伴う上顎洞炎の発症は,当該治療を受けるか否かについて決断する上で重要な出現頻度の高い合併症や一定の出現頻度があり,かつ,症状が重篤な合併症として一般的に認識されていたものであると認めることができないので、説明義務が存在したということはできないと判示しました。
本件のポイント
⑴ 医療水準について
専門家である歯科医師には、医療行為を行うにあたって広い裁量が認められています。そのため、歯科医師は、同じ立場にいる平均的な歯科医師であれば知っていることが期待される医学的知見に反する医療行為を行った場合にのみ、医療水準に満たない不適切な治療を行ったとして過失を問われるとされています。
この医療水準は、あくまで治療当時のものが基準となります。本件でも、患者が提出した文献が治療後のものであるとして排斥されるなど、あくまで治療当時の医学的知見をもとにした判断がなされています。このように、治療の後になってから、最新の医学的知見をもとに過去に遡って糾弾されるということはありません。
⑵ 説明すべき合併症について
担当医に治療前にあらゆる合併症のリスクを説明するよう求めるのは非現実的です。そのため、裁判所は、患者が治療を受けるかどうか熟慮の上判断するために必要かつ十分かという観点から、①一般的によく知られている代表的な合併症であり、かつ、②出現頻度が高いか、または症状が重篤なものについてのみ説明すれば足りる、と考えているようです。
そのため、担当医は、上記のような合併症については同意書に盛り込むとともに、できるだけ口頭でわかりやすく説明するよう心掛けるべきであるといえます。
なお、本判決は、担当医は、出現頻度の高い合併症や一定の出現頻度があり,かつ,症状が重篤な合併症として一般的に認識されていたものについて説明義務を負うとしていますが、一方では、発生率の低さにかかわらず症状が重篤な合併症については説明義務を負うとする裁判例もあります(東京地判平成29年3月23日)。このように、判断基準については事案ごとに微妙に変化するようにも思われますが、実務的には、たとえ発生率が低くても、症状が重篤なものについては一律に同意書に記載しておく方が無難であると考えられます。